「育てにくい子」と共に生きる

発達障害の長男と共にたくましく生きていくため、日常をつづりたいと思います。

味覚への敏感さと発達障害

私は子供のころ、給食に非常に悩まされました。冷めた白米がとても苦手なのです。センターから運ばれてくる途中で蒸れて水滴が落ちて冷めた白米。ああ、思い出すだけでも気が重くなるほど苦手で、汁物で何とか流し込んだり、給食係に頼み込んで少な目によそってもらったり、先生に全部食べなさいと怒られて掃除の時間まで食べさせられたり、本当に苦労しました。

ほうきで床をはいたホコリが舞うなかで嫌いなものを食べさせられ、挙句の果てに「掃除をやらないのはずるいから放課後に一人で残って掃除していけ」と言われ、帰り道に「あのマンションから飛び降りたら二度とこんな思いをしないで済むかな」と切実に考えて、でも実行する勇気が出ず、そんな自分を情けなく思ったこともあります。

あの時死なないで良かった。「こんな境遇がずっと続くわけではない、担任が替われば状況も変わる」と何とか気持ちを切り替えて小学5年生をやり過ごし、6年生でリベラルな担任の先生に替わった時は天にも昇るような嬉しさでした。

今は時代が変わって、息子が無理に給食を食べさせられることはありません。バンザイ!今思えば、私も発達の凸凹や味覚(温度)への過敏さがあったんだと思います。というか、今でもあります。出産で入院したときも、病院食の冷めた白米はほとんど残して、勝手にパンを買ったりしていました。もったいないですが、どうしてもダメなんです。そのとき、大人は自由でいいわ~と心底思いました。

過敏さが無い人には、きっと「わがまま」と映るだろうけど、追い込まれて死にたいほど悩んだり、何十年経っても当時の担任を生涯で一番嫌いな人と認識するケースもあるということを、特に学校の先生には解って欲しいなと思います。